若狭後瀬山城・小浜城を訪ねる(第721回例会)

●日時
令和5年11月12日 午前8時(時間厳守) 雨天決行(行程変更あり)

●集合場所
JR環状線「森ノ宮」駅前 森之宮神社前

弁当(バス乗車前にご用意ください)・飲物・敷物・帽子・ハイキング靴・ステッキ・タオル・雨具持参でお願いします。
バス車内を含めマスクの着用は各自の判断でお願いいたします。

●行程
森之宮神社前8時出発 → 阪神東大阪・近畿 → 第二京阪 →

京滋バイパス → 京都縦貫道 → 舞鶴若狭道 →

綾部PA(休憩) → 小浜IC → 後瀬山城(10:30) →

愛宕神社側登山道で登城 → (比高155m登山口から連郭群までは急勾配の登りが続きます) →

大竪堀 → 八幡神社側の大堀切 → 3郭堀切・土橋 →

主郭(昼食) → 主郭堀下の二重大堀切 → 2郭(山城御殿跡) →

主郭北西下の堀切と畝状竪堀群 → 登りと同じ道で下山 →

バスで小浜城に移動 → 小浜城本丸周辺探訪 → 小浜城出発(15:00) →

小浜IC → 舞鶴若狭道 → 綾部PA(休憩) → 舞鶴若狭道 →

京都縦貫道 → 京滋バイパス → 第二京阪 → 

阪神東大阪・近畿 → 森之宮神社前(17:30頃解散) 

●参加費
参加人数により変わります。
(バス代・高速料金・資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●参加申込
会員の方は城だよりをご参照ください。
会員外の方はお問い合わせください。

●見どころ
【後瀬山城】
若狭武田氏は永享12年(1440)武田信栄が
6代将軍足利義教の命で若狭・丹後・三河等の守護であった
一色義貫を討った恩賞で若狭守護となったため、
丹後一色氏とは常に確執があり続けた。
そのため、大永2年(1522)若狭5代守護武田元光により
小浜の後瀬山に築城された後瀬山城は曲輪の要所に堀切が施されている他、
特に城の北西部には畝状立堀群や大規模な竪堀等が施され、
西方の丹後に対し防御を密にした構造となっている。

若狭8代守護の武田元明は天正10年(1582)本能寺の変で
明智光秀に味方したため自害させられ、若狭武田氏は滅亡する。
その後、丹羽長秀・浅野長政・木下勝俊が若狭を支配するが、
慶長5年(1600)関ケ原の戦い(大津城籠城戦)での戦功で
若狭を領することとなった京極高次は、
翌年から小浜城の築城を開始し、後瀬山城は廃城となった。

【小浜城】
小浜城は小浜の北川・南川の三角州を本丸とし、
周囲に曲輪を配する輪郭式縄張の水城である。
京極氏の後、酒井忠勝が藩主となった後の正保2 年(1645)に城は完成した。
往時には本丸南西隅に三重天守が聳え、城内には多数の櫓や
多聞櫓があり城の規模に比べその数は圧巻で、
幕閣に連なる譜代大名の威容を示す城郭であった。
現在は忠勝を祭神とする小浜神社が立つ本丸の西半分が旧状を留めるのみだが、
天守台を中心とした石垣は状態良く現存する。

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