近江甲賀の城を訪ねる(第720回例会)

例会

●日時
令和5年10月1日 午前10時30分 雨天時行先変更あり

●集合場所
JR草津線甲南駅南出口前

弁当・飲物・帽子・ハイキング靴・タオル・雨具持参でお願いします。
マスクの着用は各自の判断でお願いいたします。

●行程
甲南駅 → 服部城 → 新宮神社で昼食 →

新宮城・新宮支城 → 村雨城・寺前城 → 甲南駅(解散 15時頃)

●参加費
賛助会員・正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
戦国時代の近江甲賀郡には同名中という
同じ苗字をもつ土豪の組織があり、
戦国末期に甲賀郡全体で甲賀郡中惣としてまとまる。
土豪内では惣領家・庶子家が横並びであり、
庶子家でも城館を構えることができ、
また、土豪たちの権力が均一であったことから、
郡内にほぼ同一規模の単郭方形の城館跡が約300も存在する。
今回は甲南地域の城館密集地帯に位置する服部城、
新宮城・新宮支城、寺前城・村雨城を探訪します。

【服部城】
西側を除く三方を土塁で囲った単郭方形の城。
東南隅の土塁が一番高く、北側土塁の外には横堀が残る。
甲賀郡中惣を組織した甲賀五十三家の一つ服部氏の居城。

【新宮城】
国指定史跡。
磯尾川左岸の南北に延びる舌状台地の先端部に
幅5050m程の谷を隔て、北に新宮城、南に新宮支城が
築かれている「二城並列型」の城館で、
両城とも方形の土塁囲みの主郭をもつ城館型。
両城とも服部氏の居城といわれる。
新宮城は南側が谷をとなっているが、
土塁を周囲に囲繞した主郭に西側から北にかけて空堀を設け、
さらに東側に虎口を経て数段の広い曲輪を設けた縄張りとなっている。

【新宮支城】
丘陵を削り残して土塁で囲んだ方形の主郭。
その南北に堀切と土塁を築き、更に北側堀切の先にも曲輪を設け、
北側にある新宮城と連携した防備態勢を持つ。

【寺前城】
国指定史跡。
大谷池西側の丘陵に築かれ、丘
陵南側にある村雨城と一対の城を形成している
「二城並列型」の城館。
方形複郭で主郭は東面を除き土塁が残る。
北に中央虎口への土橋があり、二重堀切になっている。
南は二重堀切で村雨城に続く。
築城者、歴史等は不明。

【村雨城】
国指定史跡。
方形複郭で主郭は四方に土塁が巡らされて
南辺は三段に階段状に土塁が築かれている。
北西隅は櫓台と思われ、土塁西辺には虎口が設けられ
スロープ状になり山麓に至り両側は土塁が構えられている。
南側の土塁は副郭を囲う土塁になっている。
南面は丘陵斜面を削り出して築いている。
築城者、歴史等は不明。

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近江甲賀の城を訪ねる(第720回例会)

摂津山下城を訪ねる(第719回例会)

例会

●日時
令和5年9月3日 午前10時40分 雨天時行先変更あり

●集合場所
能勢電鉄山下駅改札口

弁当・飲物・帽子・ハイキング靴・タオル・雨具持参でお願いします。
マスクの着用は各自の判断でお願いいたします。

●行程
山下城登山口 → 獅子山城石碑前記念撮影 → 本丸(昼食タイム) →

獅子山城西郭 → 二重竪堀・土橋 → 向山城 →

下山 → 山下駅(解散 16時頃)

●参加費
賛助会員・正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
山下城は川西市の北部の下財町にある「獅子山」
(標高181m、比高94m)と西の谷を挟んだ「向山」
(標高188m、比高101m)の二ヶ所の城郭からなる。

城主の塩川氏は清和源氏の祖「源満仲」を祀る
「多田院」(川西市)の盟主的存在。
天文10年(1541)近隣の一庫村もしくは笹部村に新城を築いたが、
翌年ここに拠点城郭を整備した。

獅子山城の構成は翼を広げたような形で、東側の曲輪群と
西側の曲輪群はいずれも階段状で切岸も厳しい構造である。
主郭の東は二重竪堀があり防御している。
向山にある出城の役割となる向山城は単郭だが、
周囲を堀切で囲む守り堅固な城である。
このように山下城は二ヶ所の城郭からなる広大な城です。
マイナーな城と思われている皆さんにも
お楽しみいただけると思います。

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摂津山下城を訪ねる(第719回例会)

近江草津宿と鈎の陣跡 を訪ねる(第718回例会)

●日時
令和5年8月6日 午前10時30分 雨天決行(行程変更あり)

●集合場所
JR草津駅東口ふれあい広場

弁当(草津宿街道交流館にはレストランはありません)・飲物・帽子・ハイキング靴・タオル・雨具持参でお願いします。
マスクの着用は各自の判断でお願いいたします。

●行程
旧草津川堤防 → 道標 → 草津宿老舗 → (商店街散策) →

草津宿街道交流館にて昼食休憩(12:30~13:30) → 草津宿本陣見学 →

草津駅東口(帝産湖南バス 14:55) → 上鈎(15:00) →

永正寺(伝「鈎の陣」跡) → 鈎の陣所ゆかりの地の石碑 →

東海道を歩き旅人体験 → 手原駅(解散 16時頃)

●参加費
賛助会員・正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
江戸より52番目の宿場草津本陣でタイムスリップして大名気分で見学しませんか。
玄関を入ると、明治天皇が行幸した際に改修された襖は柏の葉を鳳凰風に描き 、
色鮮やかに迎えてくれます。
大福帳では忠臣蔵の主人公浅野内匠頭、吉良上野介、皇女和宮、
新選組土方歳三等が宿泊しています。
大名御殿にも劣らない豪華な上段の間や貴重な資料を堪能していただいた後、
九代将軍足利義尚が六角征討のため行った近江親征「鈎の陣」の故地を訪ねた後、
東海道を手原駅まで歩きます。

「鈎の陣」はこれまで対六角戦の前線司令本部という見方が支配的で、
義尚は在陣中酒色に溺れ25歳で病没したとの悪評を受けてきましたが、
滋賀県文化財保護課の井上優氏は、義尚は父の八代将軍義政から
名実ともに独立した権力基盤をつくるため、
1年5カ月に及び京を離れ進駐したとのことで、
鈎の陣における政府機能は『鈎幕府』と呼ぶことが出来るとしています。

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近江草津宿と鈎の陣跡 を訪ねる(第718回例会)

大和郡山城を訪ねる(第717回例会)

●日時
令和5年7月2日 午後0時30分

●集合場所
近鉄橿原線九条駅改札口前
参加される方は昼食を済ませてご参加下さい。

飲物・帽子・ハイキング靴・タオル・雨具持参でお願いします。
マスクの着用は各自の判断でお願いいたします。

●行程
九条駅 → 九条何和口(外堀と土塁) → 奈良口 → 広島堀 →

鍛冶町大門跡 → 桜門跡 → 鉄門跡 → 梅林門 → 法印曲輪 →

毘沙門曲輪 → 極楽橋 → 本丸 → 松陰門跡 → 麒麟曲輪 →

南門跡 → 永慶寺 → 近鉄郡山駅(16時頃解散)

●参加費
賛助会員・正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
大和郡山城は、続日本100名城の一つに数えられている近世城郭です。
今回の見学会では増田長盛によって完成された惣構え(外堀と大門跡)と
復元なった本丸極楽橋と白沢門跡(整備)が見どころポイントです。

大和郡山城は、天正8年(1580)に筒井順慶が織田信長より大和一国
20 万石を与えられ、砦規模の城を本格的な城郭へと修築を開始した。
城の修築半ばで2代定次は伊賀上野城へ移封となる。
天正13年(1585)に豊臣秀長が、大和・紀伊・和泉100万石の
太守として入城すると、城の修築は本格化する。
豊臣秀長の死後、養子秀保が嗣ぐが文禄4年(1595)17歳で死去し、
大和大納言家は断絶する。
文禄4年、増田長盛が近江水口から郡山20万石を領して入封する。
長盛は大和大納言家時代に内郭部分が完成していた城の修築を続け、
翌5年に外堀(総堀)を普請して城は完成した。

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大和郡山城を訪ねる(第717回例会)

山城一乗寺山城・雲母坂城を訪ねる(第716回例会)

●日時
令和5年6月4日 午前10時

●集合場所
叡山電鉄「修学院」駅前 時刻厳守

弁当・飲物・敷物・帽子・ハイキング靴・杖・タオル・雨具持参でお願いします。
マスクの着用は各自の判断でお願いいたします。

●行程
修学院駅 → 鷺森神社 → 曼殊院山門 → 登山口 →

(一乗寺林道) → (64) → (61)北白川城北城出丸 →

(64) → (66) → 一乗寺山城 → (69) →

(雲母坂) → 雲母坂城 → 修学院駅(16時半頃解散)

番号は京都一周トレイルの標識番号です。
64からいったん南に行き、北白川城北城出丸を見学、
昼食後北に戻り一乗寺山城に向かいます。

●参加費
賛助会員・正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
京都市の東、比叡山系の山々に点在する城跡の内、
南端の瓜生山を中心に城跡が点在する北白川城の北城出丸と、
その北に位置し比叡山系から伸びる西尾根に展開する一乗寺山城、
修学院離宮へと下る雲母坂にある雲母坂城を訪ねる。

北白川城は16世紀以降足利将軍家・細川管領家・三好長慶などの
京都をめぐる攻防の舞台となっているが、元亀元年(1570)
一乗寺山城に陣取った朝倉・浅井勢に対峙するため
9月に幕府奉公衆が陣取り、明智光秀も入ったという。
北城出丸は本城の北東に位置し、北東・南西に約150m、
北西・南東に約200mの規模で、中心部の郭には土塁、竪土塁がある。

一乗寺山城は元亀争乱の際、元亀元年頃朝倉・浅井連合軍が
京から近江に通ずる白鳥越(青山越)に築いた
陣城群の一部と考えられている。
城は京と近江を結ぶ白鳥越道で南北に分れている。
北城の北に二重堀切がある。
また、南北両城とも西側に土塁や畝状竪堀群を施し、
京都方向の防御を意識した構造。

雲母坂城は京と比叡山の最短ルートとして
利用されてきた「雲母坂」にある。
信長の比叡山焼き討ちの際の経路とも想定される。
雲母坂の山道の深い切通しに面して郭や土塁があり、
通路に圧力をかける構造となっている。

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山城一乗寺山城・雲母坂城を訪ねる(第716回例会)