大和郡山城を訪ねる(第717回例会)

●日時
令和5年7月2日 午後0時30分

●集合場所
近鉄橿原線九条駅改札口前
参加される方は昼食を済ませてご参加下さい。

飲物・帽子・ハイキング靴・タオル・雨具持参でお願いします。
マスクの着用は各自の判断でお願いいたします。

●行程
九条駅 → 九条何和口(外堀と土塁) → 奈良口 → 広島堀 →

鍛冶町大門跡 → 桜門跡 → 鉄門跡 → 梅林門 → 法印曲輪 →

毘沙門曲輪 → 極楽橋 → 本丸 → 松陰門跡 → 麒麟曲輪 →

南門跡 → 永慶寺 → 近鉄郡山駅(16時頃解散)

●参加費
賛助会員・正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
大和郡山城は、続日本100名城の一つに数えられている近世城郭です。
今回の見学会では増田長盛によって完成された惣構え(外堀と大門跡)と
復元なった本丸極楽橋と白沢門跡(整備)が見どころポイントです。

大和郡山城は、天正8年(1580)に筒井順慶が織田信長より大和一国
20 万石を与えられ、砦規模の城を本格的な城郭へと修築を開始した。
城の修築半ばで2代定次は伊賀上野城へ移封となる。
天正13年(1585)に豊臣秀長が、大和・紀伊・和泉100万石の
太守として入城すると、城の修築は本格化する。
豊臣秀長の死後、養子秀保が嗣ぐが文禄4年(1595)17歳で死去し、
大和大納言家は断絶する。
文禄4年、増田長盛が近江水口から郡山20万石を領して入封する。
長盛は大和大納言家時代に内郭部分が完成していた城の修築を続け、
翌5年に外堀(総堀)を普請して城は完成した。

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