山城宇治川太閤堤と伏見城を訪ねる(第755回例会)
●日時
令和8年9月13日 午前10時30分 雨天決行(行程変更あり)
●集合場所
京阪電鉄宇治線 宇治駅改札口前
弁当(宇治駅周辺はコンビニ無し)・飲物(暑い時期です。十分に用意を)・敷物・ハイキング靴・ステッキ・タオル・雨具を持参してください。
マスクの着用は各自の判断でお願いいたします。
●行程
京阪宇治駅 → (徒歩すぐ) →
国指定史跡宇治川太閤堤跡(お茶と宇治のまち歴史公園内)(見学・昼食) →
三室戸駅 → 京阪電車240円 → 桃山南口駅 →
伏見城御舟入り跡 → 伏見桃山東陵(昭憲皇太后陵)(山里丸) →
伏見桃山陵(明治天皇陵)(四の丸) →
伏見桃山城天守閣(模擬)(お花畑山荘) → 北堀公園 →
柏原陵(桓武天皇陵) → 乃木神社 → 指月伏見城跡(御舟入り跡) →
御香宮(14時半頃解散)
●参加費(事前振込)
賛助会員・正会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)
●見どころ
伏見城は当初文禄元年(1592)伏見の指月の地に豊臣秀吉の隠居屋敷として造営され、
文禄3年に城郭(指月伏見城)に拡張された。
翌4年の秀次事件で聚楽第が破却された後は京都における豊臣氏の拠点となったが、
文禄5年の慶長大地震で大被害を受けたため、
慶長2年(1597)に指月の北の木幡山に新に築城した。
これが現在遺構として残る伏見城で、翌慶長3年8月秀吉はこの伏見城で死去している。
その後、関ヶ原の戦い前哨戦の西軍の伏見城攻めで、落城焼亡したが、
徳川家康の畿内拠点として再建され、家康・秀忠・家光の将軍宣下の舞台ともなった。
元和9年(1623)その役目を終え破却された。
現在は、城域の大半が伏見桃山陵(明治天皇陵)と
伏見桃山東陵(昭憲皇太后陵)の域内にあるため、
城跡を直接見ることはできませんが、
夏でも涼しい御陵内を巡り木幡山伏見城の痕跡を確認していきたいと思います。
宇治川太閤堤跡は平成19年に宇治橋近くの宇治川右岸宇治菟道・乙方地区で発掘された堤跡。
秀吉は文禄3年指月伏見城を本格的な城郭に拡張すると、
城の南に広がっている巨椋池に流れ込んでいた宇治川の左岸に槙島堤を築き
宇治川を同池から分離し、流れを北流させ伏見城下にまとめた。
また、小倉堤を同池の中に築き、大和街道として伏見城下に直結させた。
文禄5年には淀川の堤を京街道とする工事も始まり、
伏見を中心として大坂・奈良を結ぶ交通ネットワークが完成した。
これまで、宇治川右岸には太閤堤は発掘されていませんでしたが、
護岸遺構(石積み護岸・杭止め護岸)や水流を制御する水制遺構(石出し・杭出し)等が
発掘されており、近世初期の河川土木遺構として貴重なものです。
現物は埋め戻され、同じ場所に展示されているレプリカを見学します。


