山城山崎(天王山)城を訪ねて(第684回例会)

例会

●日時
令和2年10月4日 午前10時00分 雨天決行(行程変更あり)
新型コロナウイルスの感染状況により中止となる場合があります。
中止の場合は9月下旬にホームページ等で告知いたします。

予定通り開催いたします。

●集合場所
JR東海道本線「山崎」駅 改札口前

弁当・飲物・敷物・杖・ハイキング靴でお願いします。

●行程
JR「山崎」駅前 → 青木葉谷展望台 → 旗立松展望台 →

十七烈士の墓 → 酒解神社 → 天王山山崎城跡(昼食) →

宝積寺(秀吉本陣跡) → 大山崎歴史資料館 →

山崎古戦場跡 → 光秀本陣跡 → 西国街道 →

阪急「西山天王山」駅(解散)

●参加費
正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
天正10年(1582)、明智光秀の謀反に倒れた
主君織田信長の仇を見事に討った羽柴秀吉が、
戦いのあった天王山に新たに築いたのが山崎城である。
後継者争いに先んじて、信長の跡を継ぐべく
打たれた布石となる城である。
清洲会議、賤ヶ岳の戦いを勝利し、
大坂城に移るまでの居城として意図的に築かれ、
一時は畿内の政治の中心的な城となっていた。

天王山の山頂に主郭を構え、
北側に一段高く天守台が石垣で築かれていた。
西側に一段低く副郭が設けられ石組みの井戸が残っている。
主郭から東側に二本の竪土塁が延びて、その間が居館跡となる。
東端の酒解神社も京都方面の眺望に優れ、城域に取り込んでいた。
山麓には宝積寺、中腹には維新の「十七烈士の墓」があり、
歴史を感じる散策になることと思います。

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山城山崎(天王山)城を訪ねて(第684回例会)

播磨明石城を訪ねて(第682回例会)

例会

●日時
令和2年8月2日 午前11時00分 雨天決行
新型コロナウイルスの感染状況により中止となる場合があります。
中止の場合は7月下旬にホームページ等で告知いたします。

●集合場所
JR山陽本線「明石」駅 北口

弁当・飲物・敷物・ハイキング靴で、暑さ対策もお願いします。

●行程
JR「明石」駅前 → 大手門跡 → 三之丸下屋敷跡(公園) →

稲荷郭跡 → 本丸跡坤櫓 → 天守台 → 巽櫓 →

本丸北側石垣 → 桜堀 → 薬研堀 → 二の丸跡 →

東の丸跡 → 明石市文化博物館 → 巽櫓下 → 太鼓門跡 →

「明石」駅(解散)

●参加費
正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
明石城はJR明石駅から見る坤櫓と長塀、巽櫓の勇姿は素晴らしい眺めです。
会員の皆様もすでに何回も足を運んでいることと思います。
暑い最中ですが、緑陰を選び散策しながら現存櫓や天守台の石垣、
近世城郭の規模を楽しみながら、ゆっくりと巡りましょう。
明石城は元和2年(1616)に小笠原忠真によって築城され、3年後に完成しています。
去年は明石城築城400年でいろいろな催しがされました。
今は3DCGで「明石城巡り」をダウンロードすれば、当時の姿が再現されます。
QRコードで試してみてください。
明石城の天守台に天守は築かれることはなかったが、
あえて坤櫓の後ろに天守台を造ったのは天守を築く意志はなく、
10万石の格式を示すためのものであったといわれます。
天守台の規模から五重天守があがるが、本丸の四隅に三重櫓4基で威容を誇っていました。
今も2基の三重櫓を眺めることができる名城です。

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播磨明石城を訪ねて(第682回例会)

和泉岸和田城を訪ねて(第681回例会)

例会

●日時
令和2年7月5日 午前10時30分 雨天決行
新型コロナウイルス感染の第2波も予断を許しません。
中止の場合は6月末日にホームページ等で告知いたします。
予定通り開催いたします。

●集合場所
南海本線「岸和田」駅 改札口前

弁当・飲物・敷物・杖・ハイキング靴で、暑さ対策もお願いします。

●行程
南海「岸和田」駅前 → 東大手門跡 → 武家屋敷(外観) →

岸城神社(石塀・中家櫓台) → 地中門 → 東二の丸櫓台石垣(市役所) →

伏見櫓台(北側) → 二ノ丸御殿跡(昼食) → 二ノ丸跡(東西二重門・中村一氏天守推定地) →

本丸跡(各櫓台・小天守台) → 西二ノ丸(土手櫓跡・西大手門跡) →

三ノ丸跡(二重櫓) → かむろ坂 → 坂口門跡 → 南海「岸和田」駅(解散)

●案内講師
栢木隆氏(当会会員)

●参加費
正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
岸和田城は2010年8月に行っていますが、遠出の外出が困難なため、
近くのお城で皆さんと御一緒したいと思います。
案内講師の栢木隆氏は、遠路何回も通って岸和田城を徹底的に調べました。
推定建物復元図も多数完成させました。
地形を読みながら正保城絵図などを照らし合わせ、櫓跡の現状まで調査し、
今回はできるだけ多くの個所を案内したいと思います。
説明がなければ見過ごしてしまう所ばかりですが、
皆さんの知らない岸和田城に出会えます。

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和泉岸和田城を訪ねて(第681回例会)

阿波一宮城を訪ねて(第677回例会)

例会

●日時
令和2年3月1日 午前8時(時間厳守) 雨天決行(行程変更あり)

●集合場所
JR環状線「森ノ宮」駅前 森ノ宮神社前

弁当・飲物・敷物・杖・ハイキング靴でお願いします。

感染症対策でマスク等の着用等をお願いいたします。

●行程
JR「森ノ宮」駅前 → 阪神高速・垂水JCT・明石海峡大橋 →

鳴門JCT → 徳島IC → 一宮神社 → 倉庫跡 → 畑跡 →

才蔵丸 → 明神丸 → 本丸(昼食)釜床跡 → 小倉丸 →

椎の丸 → 水の手丸 → 貯水池跡・陰滝(下山) →

一宮神社 → 徳島IC → 同じルートで帰阪(18時頃予定)

当初勝瑞城も予定していましたが、一宮城が全面整備され
小倉丸以下が見学可能となりました。
雨天の場合は徳島城・勝瑞城館に変更も考えています。

●参加費
参加人数により変わります。
(バス代・高速料金・資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●参加申込
会員の方は城だよりをご参照ください。
会員外の方はお問い合わせください。

●見どころ
築城は南北朝期にさかのぼり、阿波守護小笠原氏の一族一宮氏といわれます。
三好氏と長宗我部氏の戦いの舞台となり長宗我部氏の城となりました。
天正13年(1585)秀吉の四国制圧で蜂須賀家政が入り、現在残る織豊系の城郭として
大改修され、阿波で最初の本格的な石垣の城となりました。
同時に徳島城の築城で阿波九城の一つとなり、
一国一城令の後に廃城となりました。

縄張はそれぞれのピークに曲輪を構え中世の面影を残しますが、
本丸は総石垣の織豊系城郭で本丸虎口は見どころです。
奥の小倉丸以下が整備され、今まで入れなかった曲輪までじっくりと見てもらえます。
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阿波一宮城を訪ねて(第677回例会)

摂津芥川山城を訪ねて(第676回例会)

例会

和歌山城郭調査研究会との合同見学会

●日時
令和2年2月2日 午前9時30分 小雨決行(行程変更あり)

●集合場所
JR「高槻」駅北口

弁当・飲物・敷物・杖・ハイキング靴でお願いします。

●行程
JR「高槻」駅北口 → 市営バス51番系統 → 塚脇バス停(和城研と合流) →

搦手口・東曲輪群 → 堅土塁・堀切土橋 → 出丸跡石垣 → 大手口 →

本丸跡 → 西端の堀切 → 南曲輪 → 大手石垣 →

大手道 → 塚脇バス停 → JR「高槻」駅(16時頃解散予定)

●参加費
正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
主君細川晴元と将軍足利義輝を追放し、畿内に覇権を打ち立てた三好長慶が、
その絶世期に在城したのが三好山の芥川山城です。
晴元がいた芥川山城に本拠を移し、畿内・四国で九ヵ国を有した7年間は
「芥川政権」と呼ばれています。
大阪屈指の山城です。
長慶が飯盛城に本拠を移した後は織田信長の城となり、
和田惟政・高山右近が居城しています。

飯盛城とともに大阪を代表する山城である芥川山城は大きく3つの曲輪群からなり、
東曲輪群・出丸・本丸部分まで幾つもの曲輪が山全体に広がっています。
出丸の石垣、大手の石垣と見所もあり、天気が良ければ摂津国が一望できます。
一昨年の台風で甚大な被害を受け、倒木がやっと地元の方々により
片付けられていますが未だ傷跡が残る状態です。
見学できる範囲でとことん探索するつもりです。

今回は和歌山城郭調査研究会との合同見学会となります。
大阪の全国区の山城を学ぶいい機会です。
奮ってご参加ください。

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摂津芥川山城を訪ねて(第676回例会)