播磨赤穂城を訪ねる(第707回例会)

●日時
令和4年9月4日 午前10時45分 雨天決行
予定通り開催いたします。

●集合場所
JR赤穂線「播州赤穂」駅改札口前

弁当・飲物・敷物・帽子・ハイキング靴・タオル・マスク着用でお願いします。

●行程
「播州赤穂」駅前 → 息継井戸 → 大手門 → 二の丸門跡 →

二の丸庭園 → 西仕切門 → 米蔵跡休憩所(昼食) →

水手門跡 → 東仕切門跡 → 厩口門 → 本丸・天守台 →

本丸門 → 清水門 → 市立歴史博物館 → 塩屋門 →

花岳寺(移築門) → 「播州赤穂」駅(解散)

●参加費
正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
赤穂城は「忠臣蔵」であまりにも有名ですが、
浅野長直(長矩の父)が幕府の命で大改修を行い、
甲州流軍学者近藤正純や山鹿素行が加わり、
寛文元年 ( 1 6 6 1 に完成した城です。
瀬戸内海と河川を活かした水に囲まれた城で、
江戸の軍学を具現化した特徴的な縄張です。
本丸は星形を思わせる稜堡もみられる多角形の平面で、
出隅の隅角部を方形に突出させた「横矢枡形」など画期的な縄張です。
本丸には建てることのなかった天守台があり、明石城と同様のケースです。
現在は復元整備も進み、大手門の枡形や本丸門をはじめ
厩口 門、水手門、二の丸西仕切門なども復元されています。
残暑厳しい折ですが、近世城郭の完成期にできた城を堪能することができます。

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播磨赤穂城を訪ねる(第707回例会)

守口宿と文禄堤(京街道)探訪と会員研究発表会(第706回例会)

午前の部 守口宿と文禄堤(京街道)探訪

●日時
令和4年8月7日 午前9時 雨天決行
(台風等中止判断は当日7時にします。)
予定通り開催いたします。
新型コロナウイルス感染防止対策の上でのご参加をお待ちしております。

●集合場所
Osaka Metro谷町線守口駅2出口地上

●行程
江戸川乱歩居住地跡 → 東海道五十七次守口宿一里塚跡 →

瓶橋 → 盛泉寺(幻の大坂遷都ゆかりのお寺) →

大塩平八郎ゆかりの書院(白井家隠居所)跡 → 難宗寺(守口城推定地1) →

守口宿本陣跡 → 文禄堤(京街道) → 守居神社(守口城推定地2) →

Osaka Metro 谷町線太子橋今市駅で解散(11時30分頃)

昼食は解散後各自で済ませて下さい。

午後の部 会員研究発表会
(終了後に運営委員会を開催。幹事以外の会員の聴講を歓迎します。)

●会場
大阪市立中央会館 第二会議室

Osaka Metro 堺筋線・長堀鶴見緑地線 長堀橋駅下車6出口

13時集合 13時15分開催

研究発表会
 演題『丹波園部城 城と陣屋の線引きは?』
   『姫路城三重櫓について』
 演題『伊豆半島の近世石丁場における採石技術』(仮題)

運営委員会 15時30分
 議題 令和5年11月創会60周年記念について

●参加費
午前・午後部
 賛助会員・正会員 500円
 通信会員・当日参加者 1000円
午後部のみ
 賛助会員・正会員 300円
 通信会員・当日参加者 500円
(下見費用・レクレーション保険・記念写真・会館使用料として)

暑い時期ですので、飲み物・帽子・タオルは必ず持参し、マスク着用でお願いします。

●見どころ
文禄5年(1596)豊臣秀吉は、毛利輝元・小早川隆景・吉川広家の三家に命じ、
淀川左岸に京都と大坂を最短で結ぶ陸路の整備と治水を目的に
堤防の修築を行わせました。
これが京街道・大坂街道と呼ばれる堤防道、いわゆる文禄堤で
その長さは27kmといわれていますが、その後の改修工事などで
その多くは姿を消してしまいました。
守口市にはその一部が現存しており、往時の面影を偲ぶことができます。
東海道57番目の宿場町「守口宿」が栄えた頃の一里塚跡。
幻の大坂遷都ゆかりの「盛泉寺」。
昭和50年大阪府天然記念物に指定 樹齢約 500 年の大銀杏がある「難宗寺」。
盛泉寺から難宗寺にかけての付近は、室町末期の守口城推定地。
他にも、推理小説家江戸川乱歩寓居跡。
大塩平八郎ゆかりの書院跡。守口宿本陣跡。
守居神社(守口城推定地)等、暑い時期ですが、約2.5キロの平坦なコースを歩きます。

午後の部は、会員による研究発表をお楽しみ下さい。

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大和柳生城・柳生陣屋を訪ねる(第705回例会)

例会

●日時
令和4年7月3日 午前8時45分 雨天決行(行程変更あり)
予定通り開催いたします。

●集合場所
JR奈良駅改札口前

JR奈良駅西口 奈良交通16番乗り場(94系統石打行き) 9時11分発 バス料金970円
※柳生へのバスは運行本数が極めて少ないため、時間厳守でお願いします。
このバスに乗り遅れますと次のバス12時45分発までありません。
タクシーを使用すると約8,000円かかりますのでご注意ください 。

弁当・飲物・敷物・軍手・杖・ハイキング靴・マスク着用でお願いします。

●行程
柳生(バス停10時) → 市営駐車場 → 芳徳禅寺(柳生城) →

柳生陣屋(昼食) → 柳生藩家老屋敷 → 柳生古城 →

柳生(バス停15時)

※参加者の受付は、柳生(バス停)にて行います。
※行程の時間に余裕があれば、柳生石舟斎が一刀に断ち割ったと
伝えられている一刀石や十兵衛杉を訪れます。
※午後の柳生発奈良行のバスは、13:20発・15:52発となっています。
※バスの本数が極めて少ないため自家用車で参加される方は
柳生の市営駐車場を利用してください。
(駐車後、柳生バス停に10:00までにご参集ください。)

●参加費
正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
剣豪の里「柳生」にある柳生家ゆかりの城と陣屋を訪ねます。
柳生の里は、江戸時代に将軍家剣術指南役として
天下に権勢を振るった柳生藩1万石の地。
吉川英治の「宮本武蔵」をはじめとする小説や
NHK大河ドラマの舞台として登場し、その陣屋跡や旧家老屋敷、
菩提寺、一族にまつわる史跡などが残る山間の静かな盆地です。
この地をゆっくり歩けば、いにしえの剣豪たちの
伊吹に出会えるようです。(観光協会パンフより抜粋)

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摂津滝山城を訪ねる(第704回例会)

●日時
令和4年6月5日 午前10時30分 当日雨天・前日荒天時別行程
予定通り開催いたします。

●集合場所
三宮バスターミナル 4番乗り場(ミント神戸1階)

弁当・飲物・敷物・軍手・杖・ハイキング靴・マスク着用でお願いします。

●行程
「三宮バスターミナル」 → バス(25系統・森林植物園前行 →

「二本松」(受付) → 西曲輪群 → 中央曲輪群(昼食) →

東曲輪群 → 下山 → さるのかずら橋 →

布引の滝 → 「新神戸」駅(解散)

●参加費
正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
滝山城は六波羅探題を攻めた赤松則村(円心)が立て籠もったのが史料上の初見です。
南北朝期にも幾度か戦いの舞台となりました。

戦国期には三好長慶の家臣だった松永久秀が入城し大きく改修され、
主君長慶を招いて滝山千句(連歌)や能などでもてなしました。
長慶の死後、久秀は三好三人衆と対立し、久秀不在の滝山城は落城、
三好三人衆方の篠原長房が入城するも織田信長の上洛時に放棄されます。
花隈城の支城となり荒木村重の持ち城となりますが、
村重の反乱時には織田軍が花隈攻めの拠点として利用したのが最後と思われます。

新神戸駅の裏手からハイキングコースを登ることが出来ますが、
きつい登りの為、三ノ宮からバスで移動して西側から見学します。
西側の曲輪群は、ほぼ自然地形が残されており南北朝期の遺構と思われます。
二重堀切を 越えて 中央曲輪群には櫓台と広大な曲輪があり土塁も残っています。
堀切を超えた東曲輪群には石垣も残されています。

帰り道は少し下りが急なハイキングコースですが、
途中で見える神戸の町並みからは、往時の城からの眺望を感じ取ることが出来ます。
下山後は布引の滝も楽しんでいただければと思います。

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摂津滝山城を訪ねる(第704回例会)

伊賀丸山城・上野城を訪ねる(第703回例会)

●日時
令和4年5月15日 午前10時30分 雨天決行(行程変更あり)
予定通り開催します。

●集合場所
伊賀鉄道「丸山」駅前

弁当・飲物・敷物・軍手・杖・ハイキング靴でお願いします。

●行程
「丸山」駅前 → 丸山城跡南登山口 → 主郭・城跡碑(昼食) →

虎口跡・横堀 西登山口 → 「丸山」駅前 → (電車) →

「上野市」駅 → 元作事小屋(伊予之丸・二の丸・蛇谷堀眺望) →

筒井氏本丸・城代役所 → 天守 → 高石垣 →

藩校崇広館跡 → 「上野市」駅(解散)

●参加費
正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
織田信長の次男で伊勢国司北畠家の養子となった北畠信雄は、
伊勢の実権を握ると伊賀平定をめざして、伊賀盆地に丸山城の築城を始めた。
これを見た伊賀の土豪たちは築城途中の丸山城を攻撃、
不意を突かれた城兵や人夫は伊勢に逃げ帰った。
伊賀土豪の反撃に信雄は大軍を率いて攻めるが敗北、信長激怒の末、
天正9年(1581) 、「天正伊賀の乱」となる。
のち、滝川雄利が伊賀支配の城として修復。
未完成ながら伊賀の城とは違う県内最大の中世城館である。
天守台の大きな城跡碑や西下に巡らされた横堀、本丸東の枡形虎口跡が見所。

近世城郭として天正13年(1585)、大和郡山から移封された筒井定次が、
旧伊賀守護仁木氏の城館跡の東、平楽寺・薬師寺跡に
新しく大坂守護の城として上野城を築城した。
関ヶ原の戦い以降も秀頼に通じる定次に失政を理由に領地を没収、
家康は信任厚い藤堂高虎を伊勢・伊賀に移封した。
高虎が今度は正反対に大坂城包囲網の城として上野城を大改修した。
この時に高石垣が築かれ、伊賀国の城として城代を置いて存続された。
城の東の蛇谷堀、背後は急勾配の自然の要害。
城が築かれる立地を納得することができる。
空堀や高石垣の見所が多い城です。

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伊賀丸山城・上野城を訪ねる(第703回例会)