日本最強の城スペシャル第10弾

1月1日午後9時よりNHK総合テレビで放送された『日本最強の城スペシャル第10弾』にアンケート協力させていただきました。
番組内では日本古城友の会会員のアンケートを採用頂きました。

米子城
米子城
大山や中海などが望める景色は
360度遮るものがない圧巻の一言

日本古城友の会 総会と西区史跡めぐり(第699回例会)

●日時
令和4年1月16日 午前10時

●場所
大阪市立西区民センター

地下鉄千日前線「西長堀」駅7番出口 北へ100m
地下鉄長堀鶴見緑地線「西長堀」駅3番出口 南へ100m

●参加費
総会のみ(午前中) 200円
史跡めぐり(午後) 300円
(会場費・資料代・保険代として)

●次第
・総会 10時30分~12時
令和3年度 事業報告・会計及び監査報告
令和4年度 役員改選・創立60周年事業等
令和4年度 事業計画(見学地の選定)

午前中にて総会は終了、会場を退出します。
各自昼食をとっていただき、午後1時に区民センター前に再集合。
午後からは西区内にある史跡を巡る予定です。

午前・午後ともマスク着用でお願いします。

●行程
西区民センター → 土佐稲荷神社 → 博労淵砦跡 →
大阪舟手海所跡 → 薩摩藩蔵屋敷跡 → 此花乃井 →
靱公園 → 大塩平八郎終焉の地 → 頼山陽生誕地 →
大阪メトロ「肥後橋」駅(解散)16時頃 約5km

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日本古城友の会 総会と西区史跡巡り(第699回例会)

近江宇佐山城・大津城を訪ねる(第698回例会)

例会

●日時
令和3年12月19日 午前10時 雨天決行(行程変更あり)

予定通り開催いたします。
新型コロナウイルスの影響で中止の場合は
ホームページ等で告知いたします。

●集合場所
京阪石山坂本線「近江神宮前」駅前

弁当(現地調達不可)・飲物・敷物・ハイキング靴・杖・マスク着用でお願いします。

●案内講師
中井均氏(滋賀県立大学名誉教授)

●行程
「近江神宮前」駅 → 宇佐八幡宮 → 宇佐山城三の丸(出曲輪)跡 →

北の出丸跡 → 本丸跡 → 二の丸(副郭)跡 → 下山 →

「近江神宮前」駅(一時解散) → 「びわ湖浜大津」駅 →

大津城跡(城跡碑) → 「びわ湖浜大津」駅前(解散)

●参加費
会員・家族会員 800円
当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
毎年12月は恒例の中井先生による近江の城巡りです。
今回は宇佐山城を訪ねます。
坂本と京都を結ぶ「山中越え」が通る交通の要衝の確保と
監視を目的に信長によって築かれました。
越前朝倉攻めの最中に起きた浅井長政の離反に、
京に逃げ帰った信長は姉川において朝倉・浅井連合軍を追い詰めるが、
比叡山の支援を受けて連合軍が宇佐山城に迫った。
森可成が劣勢を挽回すべく出陣したが敗死、
絶体絶命の宇佐山城に信長が帰り、
信長包囲網を打開する為六角承禎とと和解、
連合軍とも和議が整い危機を脱した。
反信長勢力の中心的存在の比叡山に対し明智光秀を宇佐山城に入れ
全山焼き討ちにします。
のち光秀は坂本に城を築き宇佐山城は廃城。

石垣で築かれた本丸・二の丸(副郭)と北側の三の丸(出曲輪)を見学、
さらに北側の鞍部を超えたピークの北の出丸にも挑戦したいと思います。
安土城に先立ち近江において信長が最初に築いた石垣の城を堪能しましょう。
帰りに大津城(城跡碑)にも寄りたいと思っています。

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近江宇佐山城・大津城を訪ねる(第698回例会)

丹波周山城を訪ねて(第697回例会)

例会

●日時 令和3年11月7日 午前9時10分 雨天決行(行程変更あり)

予定通り開催いたします。
現地到着後の天候次第で行き先変更の可能性もありますので、
あらかじめご了承ください。

●集合場所 JR「京都」駅 北側バスターミナル

弁当・飲物・敷物・ハイキング靴・杖・マスク着用でお願いします。

●行程 JR「京都」駅北側バスターミナル → 「周山」下車(終点) →

周山城登り口 → 本丸跡 → 西曲輪石垣 → 西の城 → 南曲輪登り石垣 → 下山 → 「周山」バス停(始発) → JR「京都」駅前(解散)

周山フリー乗車券を購入すると便利で格安です。

●参加費 会員・家族会員 800円 当日参加者 1000円 (資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ 周山城は明智光秀が天正7年(1579)丹波を制圧した後、 当時の交通の要衝であった周山に築いた山城です。 築城時期は判然としませんが、「津田宗及茶湯日記」に 天正9年(1581)8月14日に十五夜の月見を楽しんだと記され、 この頃に完成していたものと考えられます。 また光秀廃止後の天正12年(1584)2月4日には羽柴秀吉が 周山城に下向した記事が「兼見卿記」に見えるほか、 城代を置くなどした記録もあり、 ある程度活用された後に廃城となった模様です。

城郭は大きく東西二つの城からなっており、 東の城は本丸及び本丸を中心に東西南北の各尾根にある 曲輪は総石垣作りであったと考えられ、 西曲輪の北側には高さ3~4mの石垣が今も残っており 最大の見どころです。 本丸には穴蔵構造の巨大な天守台(20m×18m)に 天守が挙がっていたと思われます。 また各曲輪には虎口など防御施設の痕跡が残っているほか、 南曲輪には登り石垣もみられます。 西の城は二つの堀切を超えた250m西にある曲輪群で、 東の城と違い土作りの城ですが、虎口などの形状から 同時期の城と考えられ、東西で一つの城です。

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大和宇陀松山城を訪ねて(第696回例会)

●日時
令和3年10月3日 午前10時 雨天決行(行程変更あり)

予定通り開催いたします。

●集合場所
近鉄大阪線「榛原」駅 南口

弁当・飲物・敷物・ハイキング靴・杖・マスク着用でお願いします。

●行程
近鉄「榛原」駅前(バス) → 「西山」下車 → 松山西口関門 →

春日神社(春日門石垣) → 宇陀松山城 → 秋山下城 →

町並み散策 → 「西山」バス停 → 「榛原」駅前(解散)

●参加費
会員・家族会員 800円
当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
宇陀松山城は宇陀三将の秋山氏が南北朝以来居城としていたが、
豊臣秀長が大和国主になるとその家臣が次々と入部、
関ヶ原合戦後に福島正則の弟福島高晴が入り、
城は大改修され近世城郭に生まれ変わる。
名も宇陀松山城となるが、元和元年(1615)に改易され城は取り壊された。
城の取り壊しを命じられたのが小堀遠州で、
建物の解体や石垣の破却などを細かく書き記している。
これが宇陀松山城の姿を考証する史料となる。

宇陀松山城の主要曲輪は総石垣となり、
大規模な枡形虎口や多門櫓や本丸御殿など礎石建物群があり、
小規模ながら天守も挙がる織豊系城郭の特徴を残している。
織田信雄が入り松山陣屋が政庁となるが、
5代信休の時に丹波柏原に移り廃藩となった。
城下町も天領となり町並みは重要伝統的建造物群指定で、
歴史的景観をよく伝えている。

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大和宇陀松山城を訪ねて(第696回例会)