摂津滝山城を訪ねる(第704回例会)

●日時
令和4年6月5日 午前10時30分 当日雨天・前日荒天時別行程
予定通り開催いたします。

●集合場所
三宮バスターミナル 4番乗り場(ミント神戸1階)

弁当・飲物・敷物・軍手・杖・ハイキング靴・マスク着用でお願いします。

●行程
「三宮バスターミナル」 → バス(25系統・森林植物園前行 →

「二本松」(受付) → 西曲輪群 → 中央曲輪群(昼食) →

東曲輪群 → 下山 → さるのかずら橋 →

布引の滝 → 「新神戸」駅(解散)

●参加費
正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
滝山城は六波羅探題を攻めた赤松則村(円心)が立て籠もったのが史料上の初見です。
南北朝期にも幾度か戦いの舞台となりました。

戦国期には三好長慶の家臣だった松永久秀が入城し大きく改修され、
主君長慶を招いて滝山千句(連歌)や能などでもてなしました。
長慶の死後、久秀は三好三人衆と対立し、久秀不在の滝山城は落城、
三好三人衆方の篠原長房が入城するも織田信長の上洛時に放棄されます。
花隈城の支城となり荒木村重の持ち城となりますが、
村重の反乱時には織田軍が花隈攻めの拠点として利用したのが最後と思われます。

新神戸駅の裏手からハイキングコースを登ることが出来ますが、
きつい登りの為、三ノ宮からバスで移動して西側から見学します。
西側の曲輪群は、ほぼ自然地形が残されており南北朝期の遺構と思われます。
二重堀切を 越えて 中央曲輪群には櫓台と広大な曲輪があり土塁も残っています。
堀切を超えた東曲輪群には石垣も残されています。

帰り道は少し下りが急なハイキングコースですが、
途中で見える神戸の町並みからは、往時の城からの眺望を感じ取ることが出来ます。
下山後は布引の滝も楽しんでいただければと思います。

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摂津滝山城を訪ねる(第704回例会)

日本最強の城スペシャル第11弾

5月5日午後7時30分よりNHK総合テレビで放送された『日本最強の城スペシャル第11弾』にアンケート協力させていただきました。
番組内では日本古城友の会会員のアンケートを採用頂きました。


躑躅ヶ崎館・要害山城
信玄のしたたかさを知るような
厳しい山城と優しさを感じる館

伊賀丸山城・上野城を訪ねる(第703回例会)

●日時
令和4年5月15日 午前10時30分 雨天決行(行程変更あり)
予定通り開催します。

●集合場所
伊賀鉄道「丸山」駅前

弁当・飲物・敷物・軍手・杖・ハイキング靴でお願いします。

●行程
「丸山」駅前 → 丸山城跡南登山口 → 主郭・城跡碑(昼食) →

虎口跡・横堀 西登山口 → 「丸山」駅前 → (電車) →

「上野市」駅 → 元作事小屋(伊予之丸・二の丸・蛇谷堀眺望) →

筒井氏本丸・城代役所 → 天守 → 高石垣 →

藩校崇広館跡 → 「上野市」駅(解散)

●参加費
正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
織田信長の次男で伊勢国司北畠家の養子となった北畠信雄は、
伊勢の実権を握ると伊賀平定をめざして、伊賀盆地に丸山城の築城を始めた。
これを見た伊賀の土豪たちは築城途中の丸山城を攻撃、
不意を突かれた城兵や人夫は伊勢に逃げ帰った。
伊賀土豪の反撃に信雄は大軍を率いて攻めるが敗北、信長激怒の末、
天正9年(1581) 、「天正伊賀の乱」となる。
のち、滝川雄利が伊賀支配の城として修復。
未完成ながら伊賀の城とは違う県内最大の中世城館である。
天守台の大きな城跡碑や西下に巡らされた横堀、本丸東の枡形虎口跡が見所。

近世城郭として天正13年(1585)、大和郡山から移封された筒井定次が、
旧伊賀守護仁木氏の城館跡の東、平楽寺・薬師寺跡に
新しく大坂守護の城として上野城を築城した。
関ヶ原の戦い以降も秀頼に通じる定次に失政を理由に領地を没収、
家康は信任厚い藤堂高虎を伊勢・伊賀に移封した。
高虎が今度は正反対に大坂城包囲網の城として上野城を大改修した。
この時に高石垣が築かれ、伊賀国の城として城代を置いて存続された。
城の東の蛇谷堀、背後は急勾配の自然の要害。
城が築かれる立地を納得することができる。
空堀や高石垣の見所が多い城です。

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伊賀丸山城・上野城を訪ねる(第703回例会)

播磨龍野城・龍野古城を訪ねる(第702回例会)

●日時
令和4年4月3日 午前11時00分 雨天決行(行程変更あり)
予定通り開催いたします。

●集合場所
JR姫新線「本竜野」駅 西出口付近

弁当・飲物・敷物・杖・ハイキング靴でお願いします。

●行程
「本竜野」駅前 → (徒歩) → 龍野城(昼食) →

龍野古城登り口 → 大竪堀 → Ⅱ郭 → Ⅰ郭 →

両見坂から紅葉谷に下山 → 龍野城 → (徒歩) →

「本竜野」駅(解散)

●参加費
正会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
龍野古城は明応8年(1499)頃、赤松氏一族の村秀により標高200m余り
鶏籠山頂に築かれたが、天正5年(1577)羽柴秀吉に城を明け渡し、
同13年(1585)以降、蜂須賀正勝など豊臣系の大名が在城する。
この間、時期は定かではないが山麓に居館が築かれた。
これが龍野城である。
龍野古城はその後使われなくなった。

龍野城は慶長5年(1600)池田輝政の支配となり城代が置かれるが、
その後本多、小笠原、岡部、京極と短期間で城主が交代し、
万治元年(1658)に京極氏が丸亀に移封後、
寛文12年(1672)脇坂安政が信州飯田から入封するまで天領であった。
脇坂安政は廃城となっていた龍野城を修築し、
以後明治維新まで10代200年間龍野を治めた。

龍野古城(鶏籠山城)の遺構は織豊期に改修されたと考えられる。
見どころは龍野城御殿の裏山西側にある大竪堀。
ほかⅡ郭に至るまでの各削平地には武者隠し的な土塁や窪地、
枡形虎口など、Ⅱ郭からⅠ郭の間の喰違い虎口、
Ⅰ郭周辺の石垣など見どころが多い。

龍野城は明治4年(1871)の廃藩置県で建物は
すべて競売によって取り壊されたが、昭和50年から5年間で、
城壁、多門櫓、埋門、本丸御殿などが絵図面を参考に木造・土壁で再建。
なお、南西隅の二重櫓は実在しない模擬櫓。

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播磨龍野城・龍野古城を訪ねる(第702回例会)

伊賀丸山城・上野城を訪ねる(第701回例会)

「伊賀丸山城・上野城を訪ねる(第701回例会)」は中止します。
直前の告知となり申し訳ありません。

●日時 令和4年3月6日 午前10時30分 雨天決行(行程変更あり)

●集合場所 伊賀鉄道「丸山」駅前

弁当・飲物・敷物・軍手・杖・ハイキング靴・杖・マスク着用でお願いします。

●行程 丸山駅前 → 丸山城跡南登山口 → 主郭・城跡碑(昼食) →

虎口跡・横堀 → 西登山口 → 丸山駅 → 電車 → 上野市駅 →

元作事小屋(伊予之丸・二の丸・蛇谷堀眺望) → 筒井氏本丸・城代役所 →

天守 → 高石垣 → 藩校崇広館跡 → 上野市駅(解散)

●参加費 会員・家族会員 800円 当日参加者 1000円 (資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
昨年5月に予定していましたが中止になりました。

伊賀討伐で織田方の北畠信雄を総大将に本拠となる丸山に築城中も伊賀勢に攻撃され、
再度築城を続けた伊賀地方には数少ない大規模な城です。
天守台の大きな城跡碑や西下に巡らされた横堀、
本丸東の枡形虎口が見所。
「天正伊賀の乱」後も伊賀支配の城として使われました。

伊賀上野城は大和郡山から移封された筒井定次の大坂守護の城として築かれ、
関ヶ原合戦後は藤堂高虎によって真逆に大坂城包囲の城として再構築された城です。
裏側は急勾配の自然の要害となり、城の立地を納得出来る光景です。
空堀や高石垣の見所が多い城です。

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