近江湖東三山を訪ねて(第668回例会)

例会

●日時
令和元年6月2日 午前8時(時間厳守) 雨天決行(行程変更あり)

●集合場所
JR環状線「森ノ宮」駅前 森ノ宮神社前

弁当(出発前に用意してください)・飲物・敷物・杖・ハイキング靴でお願いします。

●行程
森ノ宮駅前 → 阪神高速・近畿道・第2京阪・京滋バイパス・名神 →

八日市IC → 百済寺 → 金剛輪寺 → 西明寺 →

湖東三山スマートIC → 帰阪 18時頃

(百済寺・金剛輪寺・西明寺 別途拝観料必要 それぞれ600円です)

●参加費
参加人数により変わります。
(バス代・高速料金・資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●参加申込
会員の方は城だよりをご参照ください。
会員外の方はお問い合わせください。

●見どころ
今回は「お城」ではなく「お寺」を訪ねます。
室町時代には敏満寺、大覚寺を入れて「湖東五山」として栄えていましたが、
織田信長の焼き討ちによって衰退し、江戸時代以降にそれぞれ復興しました。
その中で広い寺域を持ち、紅葉の名所として現在の「湖東三山」が始まりました。

[百済寺]
重厚な石垣に覆われた「山城」の趣が漂う寺院で、天正元年(1573)の信長の焼き討ちにあう。
ルイス・フロイスが「地上の天国」と讃え、焼失を惜しんでいる。
往事の「石垣参道」、棚田のような「一千坊群跡」などから偲ぶことが出来ます。

[金剛輪寺]
山門から本堂まで千体地蔵が並ぶ石段が続き、山岳城郭寺院であった頃の趣を今も残しています。
ここも信長の焼き討ちにあうが、焼失を免れた本堂大悲院(国宝)、三重塔、二天門が残っています。
荒廃した三重塔は、昭和53年(1978)に復元されました。

[西明寺]
戦国時代には兵火によって荒れ果てていましたが、江戸時代中期に望月有閑によって再興されました。
山門をくぐると参道が続き、僧坊跡の石垣が散在する。
信長の兵火を免れた飛騨の匠によって建立された本堂(国宝)、三重塔(国宝)、
二天門(重文)が残ります。

3つの寺院には優れた庭園もあります。
寺の中に自衛の構えを探す寺めぐりを楽しみましょう。
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近江湖東三山を訪ねて(第668回例会)

丹波篠山城の石垣と周辺史跡を訪ねて(第667回例会)

例会

●日時
令和元年5月12日 午前10時 雨天決行(行程変更あり)

●集合場所
JR「篠山口」駅 改札口前

弁当・飲物・敷物・ハイキング靴でお願いします。

●行程
JR「篠山口」駅前 → バス春日神社前下車 → 市立歴史美術館前 →

東馬出跡 → 内堀跡一周 → 北廊下橋跡 → 本丸跡 →

大書院 → 青山歴史村 → 安間家史料館 → 南馬出跡 →

城下町散策 → バス → JR「篠山口」駅(15時半頃解散予定)

(大書院・青山歴史村・安間家史料は別途入館料必要・共通券600円がお得)

●参加費
会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
日本100名城に選定されている丹波篠山城は、関ヶ原の戦いのあと大坂城包囲網の一拠点として、
慶長14年(1609)に15カ国20家の大名による天下普請で築かれた城です。
縄張りは藤堂高虎(伊勢津城主)、築城総奉行は池田輝政(播磨姫路城主)でした。
城は北を大手として本丸と二の丸を高石垣と内堀で囲み、その外側に三の丸を配し、
外堀で囲んだ輪郭式(内堀内は梯郭式)の平山城です。
昭和31年(1656)に国指定史跡を受けた当時の石垣は、慶長の築城がわずか200余日という
大突貫工事であったためか、あるいは地盤の緩みからか、相当に孕んでいました。
この石垣修復は昭和41年(1966)~平成10年(1998)までの間に粟田建設(穴太衆積み)などの
石工集団が現場を担当し、二の丸・本丸・天守台の高石垣部分が往事の美しい姿を蘇らせました。
二条城を模した大書院は、平成12年に復元されています。
内堀は廃城後、大部分が埋め立てられていましたが、発掘調査の後、平成15年~22年にかけて
堀部分を掘って石垣を築くという復元整備が西・北・東側で順次行われました。
現在、今年12月完成を目指して本丸南側で工事が実施されています。
城下町も平成16年(2004)の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、
保存整備が進められています。
この機会に、平成で蘇った篠山城の勇姿を堪能してみませんか。
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丹波篠山城の石垣と周辺史跡を訪ねて(第667回例会)

近江佐和山城を訪ねて(第666回例会)

例会

●日時
平成31年4月7日 午前10時10分 小雨決行(行程変更あり)

●集合場所
近江鉄道本線「鳥居本」駅 改札口前

弁当・飲物・敷物・杖・ハイキング靴でお願いします。

●行程(一部行程変更になります)
鳥居本駅 → 佐和山城大手門跡(土塁) → 三の丸跡 →

鳥居本駅 → 彦根駅 → 龍潭寺口 → 西の丸 →

二の丸跡 → 西の丸跡 → 本丸跡 → 隅石垣 →

千貫井 → 太鼓丸跡 → 法華丸跡 → JR彦根駅(15時頃解散予定)

●参加費
会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

●見どころ
石田三成の居城で有名な佐和山城は、中山道と北国道の分岐点に位置し、
交通・軍事面における重要拠点である。
佐々木家が京極氏と六角氏に分かれて対立、境目の城として攻防が繰り返される。
浅井氏の信長離反後、小谷攻めの本営となった横山城を牽制するため
磯野員昌が佐和山に籠城するが8ヶ月で降伏。
信長は安土築城まで近江支配の拠点として、また岐阜と京都の中継拠点、
西国進出の最前線の城として重要視した。
秀吉の時代には石田三成の城として「過ぎたる城」といわれるくらいに整備された。
しかし、関ヶ原合戦の敗戦後に包囲され落城、
のちに佐和山城は井伊直政の城となるが、金亀山に彦根城が築城され、
建物や石垣はことごとく運ばれ徹底的に破壊された。

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近江佐和山城を訪ねて(第666回例会)

播磨感状山城を訪ねて(第665回例会)

●日時
平成31年3月3日 午前10時30分 小雨決行(行程変更あり)

●集合場所
JR山陽本線「相生」駅 中央改札口前

弁当・飲物・敷物・杖・ハイキング靴でお願いします。

●行程
相生駅前バス停 → 東瓜生バス停 → 羅漢の里から登山 →

物見岩 → Ⅲの曲輪 → Ⅱの曲輪・Ⅰの曲輪 →

Ⅲの曲輪井戸跡・大手門跡 → 羅漢の里(登山口) →

東瓜生バス停 → 相生駅(大阪駅着18時43分予定)

●参加費
会員・家族会員 800円
通信会員・当日参加者 1000円
(資料代・保険代・記念写真代・下見費用として)

別途バス代往復900円必要です
相生駅前バス停 10時37分発のバスに乗車します。
速やかに移動願います。

●見どころ
感状山城の歴史は古く、鎌倉時代に瓜生左衛門尉が築いたとも、
建武3年(1336)に赤松円心の三男赤松則祐が築いたともいわれる。
建武年間に足利尊氏を追討していた新田義貞の軍勢を則祐が
50余日にわたって足止めし、尊氏に反撃の機会を与えた。
のち尊氏が則祐に感状を与えたことで感状山とよばれるようになったという。
総石垣の曲輪や井戸・建物跡・礎石などの遺構をよくとどめ、
播磨で代表的な中世山城です。
戦国時代にこの周辺を支配した宇喜多氏によって
改修された姿ではないかという説もあります。
羅漢の里から遊歩道を35分程度で物見岩に到着します。
南曲輪・Ⅱの曲輪・Ⅰの曲輪には野面積みの初期の石垣が見られます。
城マニア必見の城です。
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播磨感状山城を訪ねて(第665回例会)